師いわく… <恩師:内田正人からの魂の言葉>

★ 恩師:内田正人からの魂の言葉 ★

【1989年4月】
◇ 入門時に頂戴した書簡より ◇
● 門下生の件はOKです。キングタウンズ,なかなかイカシタ名前ですネ。どんどんレッスンに励んでください。基本はアカペラで。メンバーにもヨロシク!

【1990年8月8日】
◇ 「ティーンズ・ミュージックFES全国大会」出番終了後,楽屋での面会 ◇
● よく東京まで来たネ。本番前だと緊張すると思ってさァ。終ってからにしようと思ってネ…(ステージを)モニターで観たョ。うん。声は細いけどね。今からどんどん良くなる。作詞作曲はやらないの!? ギター持ちながらね,やってると,じきに作れるようになるョ。ドゥーワップってぇのは,アメリカでもナカナカ資料や書籍が少ないんだョ。日本でもやってるのは少なくなってるしネ … (ジミー“30周年おめでとうございます”) … えぇ,えぇ,有難う。こないだ,コンサートをやったんだョ。おかげ様でネ。あの頃のサウンド,オールディーズってぇのはネ。無くならないんだョ。だから,いつまでも残る音楽なんだ。

【1994年6月】
◇ 「キングトーンズLIVE@横浜・FRIDAY」飛び入り出演 ◇
● 鹿児島からネ…来てくれてるんですョ。今,大学4年でネ…来年5年になるのか,卒業できるのか分からないけどネ。うちのとこに来て勉強したいって言うんですよネ。なので,試験代わりにここで皆さんに聴いていただきたいんですよネ。…何を歌いたい??…えっ,グッナイ・ベイビー!?…凄い度胸ですネ(笑)…じゃあヨロシク!! … (歌い終わって) … この横浜の耳の肥えたお客様からこんなに拍手をもらえたので…まぁ,合格かナ。
◇ LIVE終演後 ◇
● 一年にネ…数千って数の歌手がデビューしてネ,生き残るのは一人か二人なんだョ。そして,今時,Doo-Wopの新人をデビューさせるレコード会社なんてどこにも無い。しかし,自分自身が上手くなるって事に関しては,ジミーの努力次第でどうにかなるかも知れない。それでも,構わないんだったら…何もしてやれないけれど…東京に来る分には構わないョ。

【1996年8月】
◇ 「キングトーンズ:ディナーショウ@赤坂プリンスホテル」サウンドチェックでの僕の歌いっぷりを聴いて ◇
● 声が細ぇなァ(笑)。あのナ…歌を歌うだろ。口から声が出るんだョ。それが,マイクに入って,ケーブルを通る。そして,スピーカーから出るんだ。そして,それがお客様の心を動かさなくちゃならねぇんだョ。でも,明日もヨロシク(笑)。
◇ 楽屋にて業務用の大型炊飯器を見ながら ◇
● ジミーだったら,全部食えるよナ(笑)。

【1998年5月】
◇ 僕の番組「フレンズFM:レッツ・ペンション」へのコメント ◇
● は~い,ジミー!! そして,リスナーの皆さんこんにちは。キングトーンズのリーダー:内田です。ジミーも “一声入魂”。ハートヲームなDOO-WOPをドンドンOAして下さいネ。ではまた,お元気で!! 頑張れジミー!!
※ 鹿児島に帰ることになったものの,地元FMでのDJをやってることに関しては喜んでくださったようです。僕には直接は言わなかったですがネ。このコメントはホントにホントに大サービス。中でも“一声入魂”の言葉は今でも僕の座右の銘です。

【1998年9月】
◇ CM撮影(サントリーレッド)で15年ぶりの来鹿 ◇
  (撮影が長引き…ホテルへの到着が遅れることが分かり)
● 遅れるョ!! 待てる!? … (ジミー“はい,いつまでも待ちます!!”) … そう!! そうなんだョ!! ジミーは … 待てるんだよナ!! (笑)
  (ツーショット撮影をお願いして)
● えっ,写真撮んの!? あぁ,まだ一枚も撮ってなかったんだよナ。こんなことは滅多にないョ。
※ 実際に,恩師とのツーショット写真はこの一枚のみであります(近日中にサイトにもUPしますネ)。

【1999年5月】
◇ デビュー曲のタイトル命名 ◇
● Sam Cookeねぇ…歌わないんだョ。だからさぁ,ジミーがさぁ,曲も作って,作詞作曲:ジミー入枝って具合にしてさぁ,曲名も「ワンダフル・ワールド」のまんまだったらなんだから…「ワンダフル・デイ!」みたいな感じにしてネ。自分で歌っちまったら良いんだョ!!
※ 実は,Sam Cooke「ワンダフル・ワールド」の日本語訳を僕が書いて,その詩でキングトーンズに歌って欲しいとお願いしたら,やんわりと断られちゃいまして…しかし,素直な弟子は数日後に曲を書き上げ,恩師の言葉がデビュー曲「ワンダフル・デイ!」誕生のきっかけとなりました。

【2000年10月】
◇ 「キングトーンズ:結成40周年コンサート@ルテアトル銀座」楽屋 ◇
  (デビューCDリリースに対してのコメント)
● えっ,ジミーがデビューするって。… (コメント??) … 無いョ。そんなの(笑)。そうねぇ…歌は上手いからねぇ…上手いけど,まだまだかな。個性がネ。足りないんだよネ。個性が出ればもっと良くなる。そしたら,鹿児島で大ヒットするョ(笑)。

【2001年10月】
◇ 「キングトーンズ・コンサート@浅草公会堂」終了後の打上 ◇
● こいつがネ。ジミーっていってネ。今日も鹿児島から来てんのョ。うちに弟子入りしてネ。今は,鹿児島でやってんだけどネ。頑張ってネ,CDデビューもしたんだよナ。ナカナカ,難しいんだョ。うちがコンサートをやる時には,必ず来てくれるんだよネ。声が似てるんだョ。リハーサルでも代わりに歌ってくれるんだけどネ。聴いてると似てるなぁ…と思うんだけどネ。まぁ,上手くはないけどネ(笑)。それでも,なんでも,CDも出せるようになるんだから,大したもんだョ。

【2004年3月】
◇ 「キングトーンズLIVE@横浜・FRIDAY」ゲスト出演 ◇
● はじめはネ…変わった奴だなぁって思ったんですョ。でも,うちで勉強してネ…今は,鹿児島で歌ってるんですョ。うちの曲しか歌いませんけどネ。調理師の免許を取ったり,ラジオのDJもやってんですョ。このデカイ身体でね,ファルセットを使いこなすってぇのは難しいんですョ。頑張ってますから,応援,よろしくお願いします。
※ プロになってからは初のセッション。「グッドナイト・ベイビー」「ライオンは寝ている」を歌いました。夢の“5”キングトーンズ誕生!? の一時でした。また,このことが夏以降の代演に繋がりました。

【2004年9月】
◇ 恩師の見舞い ◇
  (10月横浜タカシマヤ公演の話をした際) 
● “あいにく,内田がいませんけど,楽しいDoo-Wopをお届けしますから,皆さん,ゆっくり楽しんでって下さい!!” って言って思いっきり歌えば良いんだョ。
  (恩師が珈琲を淹れて下さいました…恐縮していると)
● これくらい身体を動かした方が,リハビリにもなって良いんだョ。水分補給もネ。
  (お見舞いを渡したのですが…)
● いいんだョ。いらないョ。… (ジミー“生意気なまねをしてすみません”) …ホント,生意気だョ。 … 分かったョ。一旦受け取るョ。そして,CD作るんだろ。一旦受け取るから。これがオレからってことにして,CD制作のタシにしろョ。
※ 心配しながらお見舞いに行きましたが,恩師と対面できて,思ってる以上に具合が良いことにホッと安心。また,病室でもバンダナにサングラス。やっぱり,一流は違いますネ。恩師との二人っきりってぇのは,ナカナカ無いことで…ゆっくりと時が過ぎた感じがしました。

【2005年7月29日】
◇ フジ・ロックFES出演時 ◇
● 鹿児島の田舎でネ,独りでDoo-Wopやってんですョ。んん … (グループ?) … キング何? あぁ,タウンね。 … (ソックリ) … な~にがソックリだ!!(笑)。  いつも,ジミー・ジミーって呼んでますけどネ。決して地味じゃないんですョ(笑)。うちらと同じ衣裳でネ…こりゃあ大変だョ。 
◇ 「煙が目にしみる」を歌い終えて ◇
● ジミーもここまで実力がついた歌手になったんだなぁ…僕の次だと思ってますネ。
※ ついに大舞台での競演が叶いました。サポートメンバーとはいえ,メンバーの皆さんと同じ衣裳。そして,恩師の隣りで…恩師に一番近いところで…競演できたことが何よりの誇りですネ。上記のコメントは,恩師のリップ・サービスですネ。大舞台に経つ新人をお客様に少しでも良い感じで観てもらえるようにとの配慮だと思ってます。

【2006年2月】
◇ 「ジミー披露宴@美華園」に頂戴した祝電 ◇
● ジミー、ご結婚おめでとう。やっと見つけたこの幸せを末永く大切にグッドナイトベイビー。また一緒に歌おう。ジミーの時代が来たぞ!
※ これは,『ザ・キングトーンズ 一同』として頂戴しました。とても,嬉しいメッセージです。大切にします。

【2006年7月25日】
◇フジロックFES:リハーサル時◇
(第一声)
 雨は大丈夫だったのか? 家が流されたのかと思ったョ。大変だったナ。
(僕のリード曲「愛がすべて」のリハを聴いて)
 結婚したからこういう歌を歌えるようになったんだョ(笑)。
(「愛がすべて」のテンポに関して)
 ちょっとテンポ早いョ。そうだなぁ…全体で10秒ゆっくりかな。おい、ジミーがBandは10秒ゆっくりにしろって言ってるゾ(笑)。
※ 確かに、3分20秒の曲がリハでは3分10秒だったんです。この辺りの正確さは流石です。
(Babyの命名に関して)
 名前を付けるってえのは易しそうで難しいんだョ。しかし、無いって訳にいかないからなぁ。
(僕の声に関して)
 柔らかいなぁ。もう柔らかくなくていいョ。もっと重みと固さがあって良いんだョ。心を込めるんだョ。覚えてきたことをさらう感じでやると上っ面の軽い感じになるんだョ。今度は3万人だョ。その観客のハートに届かなくちゃならないんだ。ジミーは身体がデカいんだから息を沢山吸って沢山出す。そしてナ、雨が降ったら雨が降ってる感じで、太陽が眩しい時はそんな風に、もし、星空の下で歌う時は星空ってェ風に、自然を感じながら歌うんだョ。

【2006年7月29日】
◇本番当日◇
(テレビ取材…師匠から弟子に対してのコメント)
 俺はあぁしろこうしろとは言わない。自分で考えて,自分で歌えるようにならなくちゃネ。30過ぎてんだろ。もうしっかりと歌わなくちゃならないんだョ。俺も,30過ぎには歌えるようになってたんだからさぁ。
(「In the Still Of The Night」の日本語詞のリズムに関してのコメント)
 “ダ~ンス~パ~ティ~”じゃあないんだョ。“ダ・ン・スー・パ・ア・ティー”だョ。しっかりリズム感を作らなくちゃダメなんだョ。ヴォーカルがしっかり,リズムを作らないとYOUちゃん(石塚さん:ベースマン)も,歌いにくくなるんだョ。分かるか!! リズム感は大事なんだョ!!
※ リハーサルに続いて,魂の言葉を頂戴しました。こんな嬉しいことはありません。
(本番にて「愛がすべて」を歌い終えて)
 あれは人間の声か(笑)。

【2006年10月29日】
◇内田師:70歳のお誕生日◇
 (電話をかけてくれたことに関して) いやいやどうもこれは有難う。
 (Baby誕生に関して) おめでとう。写真でもハガキでも送ってナ。
 (J:70歳のDOO-WOPを聞かせて下さい) 有難う。ジミーも頑張れョ。

【2006年11月26日】
◇上田正樹さんとの競演を報告◇
(上田さんが)鹿児島に来てんの!? 一緒にやんの!? 凄いじゃん!! よろしく伝えておいて!!
◇1stアルバム製作の報告◇
(スーパーバイザー就任に関して) 良いよ (写真使用に関して) 撮ったっけ!? あるんだったら良いョ!! ドンドン使ってョ!! (コメント・アレンジ使用に関しても) 大丈夫だョ。使って構わないョ。電話有難うネ。またネ。宜しく!!

【2007年7月9日】
◇Jimmy and the Vivids:デビュー報告◇
 良かったネ。話は一通り聞いているヨ。頑張らなくちゃいけないよ。
◇フジ・ロック・FES◇
 そうね。今年も,一緒に歌えるからネ。宜しく。
◇体調について◇
 全然ダメだョ(笑)。…<恩師なりの言い方です。本当に調子の悪い時はこういう言い方はしません。>
【2007年7月28日】
 おぅ,久しぶり。元気にしてた!? …<家族への気遣いの言葉を貰って>…今回も宜しく。
 (「LION SLEEPS TONIGHT」のリハーサルを終えて)
 固いんだョ。なんと言うかなァ…。ライオンになった気分で…ライオンの気持ちになって(笑)…歌えば良いんだョ。
 (「GOOD-NIGHT,BABY」のリハーサルを終えて)
 最後のハーモニーのところが,シャープしてるんだョ。珍しいよ。ファルセットでシャープするってェのは。ジミーも,今まではフラットしてもんな。でもな,シャープでもフラットでもだめなんだよ。ジャストでなくちゃな。

【2007年7月29日】
 (フジ・ロック本番当日)
 何かが,まだ足りない。なんだろうな…。そうだなぁ。甘さが足りないな。それと柔らかさだな。スヰートな感じだョ。これが出ればもっと良くなる。
 (本番当日の曲目変更について)
 前日のリハーサルで言ってもいいけど,何より,ジミーの歌なんだろ!! 2曲早い曲が続くと,どっちも,同じ曲に聴こえてしまうんだョ。結果,お客様の耳には何も残らない。間に何か別の曲を挟むか,どちらかカットするかしなくちゃ,どっちつかずになるんだョ。<結果,「ONLY YOU」を挟むことになりました>
 (米軍キャンプのステージについて)
 若い兵隊だけの店、下士官の店、将校クラブ。階級で分けられてるんだョ!だから、兵士向けのショーはヒットナンバーを、将校クラブではスタンダードナンバーだったな。色んな歌を歌えなくちゃ駄目なんだョ!しかもアメリカ人だろ。英語の発音もちゃんとなくちゃ、通じないんだょ。発音が悪いと駄目。ジミーの日本語のようにナ(笑)。

【2007年10月17日】

 ≪CMソング:レコーディングの際のやりとり≫

 (まずは逢って一言目)

 赤ん坊とかみさんは元気か!? いつ来たの!? そう。それで? 明日,鹿児島に帰んの!? 大変だネ!!

 <家族への言葉は涙です。嬉しいですネ!!>

 (ツーショット写真撮影をおねだりしてのコメント)

 なんだよ(笑)。また撮んの。
 (ジミー:えぇ、鹿児島への土産に東京での証拠写真を一つ)
 そうだな(笑)。 じゃあ、今度はハワイだな(笑)。
 (ジミー:ハワイでも写真撮りましょう)

 (レコーディングを終えて)

 ご苦労様。これからも、色んな人ともっともっとやることになるから、これからが大変だょ。

 (上田正樹さんとの話もすると)

 マサキ(恩師は上田さんを“マサキ”と呼べる数少ない方です)と一緒にやったの?どこで?NHK!凄いじゃない。そうか。マサキも頑張ってるからなぁ。色んな部分を吸収するんだょ。

【2008年9月13日】

 ≪ジミー入枝とザ・キングタウンズ結成20周年記念ライヴへのコメント≫

 キングタウンズ結成20周年おめでとう。鹿児島を代表するグループとしてこれからも頑張って下さい。ご活躍を楽しみにしています。

 <日本を代表するグループはキングトーンズです。“鹿児島”を代表するグループ…ってェところが恩師らしいですネ。負けずに頑張るゾ!!>

上田正樹さん

 アジアNo.1のR&Bシンガー『上田正樹』さんからも数々の“魂の言葉”を頂戴しています。

【2006年10月26日】

 (ご挨拶させていただいたのは3度目。上田さんとたくさんお話しさせていただけたのはこの時が最初。)

 ジミーちゃんはジミーちゃんの歌い方で良いんだ。背伸びしない,変に格好付けない。18年,DOO-WOPやってきたんだってところは大事な生き方だから,そこから,変に逸れない。それで良いんだョ。

【2006年11月26日】

 (『SOULFUL DISCO NIGHT』鹿児島公演で,競演させていただいた際に頂戴したお言葉)

 ジミーちゃん達の歌声とその存在に心が休まる。

 長くやっているなぁというのが聴いてて良く分かる。

 純粋さに心を打たれる。

 これからも頑張りや!

【2007年1月18・19日】

 (『MATURE DISCO NIGHT』福岡公演で競演させていただいた際に頂戴したお言葉)

 国宝級のファルセット(裏声)。国宝級の喉をこれからも大事にしいや。

 (ステージに臨む際にアドバイスいただいたお言葉)

 舞台は乾燥してるからとにかく湿度があった方が良い。喉を傷めるからな。傷んだ喉では良い歌は歌えない。せめて,本番前に“ウガイ”な。少しでも喉を湿らせておいた方がえぇヨ。

 <それまでの僕は,どんな乾燥した舞台でも“我慢”して,“ポーカーフェイス”で歌いきることに価値観を抱いてました。しかし,上田さんのお言葉は“アーティスト”“表現者”としてのお言葉でした。少しでも良いものを表現するために出来る限り環境を整えることも大事だということ。もの凄く影響を受けてました。>

 (僕へのオリジナルソング制作について)

 ジミーちゃんの声にあった曲を作るから。まずは,中音域を歌ってからサビでファルセットに行く。譜割りなどは気にせずに自由に歌ったらいいからネ。

 <そして,オリジナルソング「涙のミラーボール」が出来上がりました>

【2007年10月】

Uedasanandjimmy  ≪NHK「ザ・セッション2007」収録で競演の際に頂戴したお言葉≫

 (上田さん書き下ろし曲「涙のミラーボール」について)

 どう歌おうとかあまり意識しなくて良い。ツー・フォーを感じながら歌う。それだけで充分R&Bになる。しかし、これがすぐには出来ない。いつも意識して歌い続けることが大事だよ。

 (僕をこんな感じで紹介して下さいました)

 鹿児島で歌っているんですけど,キングトーンズの内田さんの秘蔵っ子で,国宝級のファルセットの持ち主です。この度,僕が曲を書いて歌ってもらうことになりました。紹介します。ジミー入枝。ジミーちゃん!!